Yuiguda nikki

ただ思ったことをぐだぐだ書いているブログです。暇だったら、たまに寄ってください。

新型コロナウィルスと歩んだこの3か月を自分なりに振り返ってみる

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ついに緊急事態宣言が日本でも発令され、動きの遅い私の職場も、一部テレワークや混雑する時間を避けるために、10時~16時に出勤時間に労働時間が短縮されるなど、動きが加速しました。

 

業種や仕事内容、分担によってこの辺りは人それぞれの変化があったと思いますが、自分なりに連日報じられるコロナニュースと歩んだ3か月間を振り返ってみようと思います。

ちなみに、厚労省のページに報道などをまとめたものがありましたので、興味のある方は見てみてください。https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000121431_00086.html

 

始まりは1月。

世間はメグジット(メーガン妃とヘンリー王子の皇室離脱騒動)に大騒ぎしているころでした。このころは都内には大勢の観光客がいて、日経平均株価も23,000円ほどと、ここ十数年で見ても非常に高い数字をだしていました。

1月23日に武漢の封鎖が行われたころも、都市を封鎖するなんて中国だからできることだけど、さすがにやりすぎじゃないか、くらいに思っていました。今となってみれば、中国が先に都市封鎖という例を作ったために、他の大都市も封鎖という手を打ちやすくなりましたね。

1月下旬に入り、徐々に武漢の様子がただ事ではない、となってきたころ、中国(湖北省など震源地のみ)からの入国制限が出始め、世間も一気に心配ムードになっていきました。

私は2月中旬に出発する海外研修を担当していましたが、大丈夫、すぐに収まる、みんな心配し過ぎ、くらいに考えていました。ちなみに、3月末に結婚式を予定していましたが、中止や延期はまったくく考えていなかったですね。

ダイヤモンドプリンセス号の2月

2月に入り、日本でも感染者は出ていましたが、死亡率はインフルエンザ程度、と考えられ、高齢者や持病のある人だけ気をつけていればよい、ととらえる人が多かったと思います。

日本がコロナで注目を集めたのはクルーズ船、ダイヤモンド・プリンセス号の船内感染。日本からするともらい事故、という感じで、かなりの批判にさらされました。2月5日~19日の2週間の出来事でしたが、かなり長い時間に感じましたね。

日本でのパンデミックも心配され、研修も実施できるのか微妙な時期になりました。それでも、2月中旬に研修のグループは出発し、2月末には無事体調の悪い学生も出ず、帰国しました。このころは実際の感染よりも、欧米でのアジア人の病気という風評被害や差別の方がずっと心配でした。

しかし、2月の上旬から、1名の他研修に参加予定の学生の保護者から、かなり研修の催行についてクレームの電話が入っていました。ちなみに、結果的に私の大学では、2月21日以降出発の海外研修は全て催行中止となりました。

このころから、私も自分の結婚式をこのまま実施していいものかかなり気にかかるようになりました。少なくとも、友人は全員お断りした方がよいのでは、とも思いましたが、そこまではしなくても、という周りの声もあり、列席予定の方全員に、自身や家族の健康状態を考えて、再度出欠の連絡をほしい旨、連絡をしました。ほとんどの方から、出席します、というお返事をもらい、安堵しました。

イタリアで感染爆発の3月

中止になった研修にはイタリアでの研修があったのですが、イタリアでの研修は中止しておいてよかった、と誰もが感じる事態に入っていきます。

イタリアで感染が拡大し、ロンバルディア州の封鎖が決まったのが3月8日。この辺りから、ようやくアジア人の病気という認識が変わっていきます。

3月9日、アメリカのニューヨーク証券取引所で最初のサーキットブレーカーが発動し、世界中、ただ事ではないというムードが立ち始めます。

そして3月11日、ついにWHOもパンデミックを宣言。ヨーロッパでの感染拡大は、中国以上の早さだったように感じます。

ちなみに私の結婚式の最終打ち合わせは3月7日で終わっていて、そのころはまだ大丈夫ムードだったので、11日以降はなかなか相談もできず、本当に心配でした。

ただ、正直言うとイベントを開く主催者としては心配だけど、個人的には日本ではあまり広まらないのでは、と思っていたところもありました。イタリアなど欧米は日本より接触する文化が多い上に、食事前に手を洗わないなどの習慣もあったので…。

これ以降、何度も何度もサーキットブレーカーが発動するという異常事態。そしてそれに呼応して日本の日経平均も1日で1,000円以上値を下げることもあり、経済的な不安も高まっていきました。

オリンピックの延期についてもかなり話がでていましたね。そしてオリンピックの延期が決定。

それを受けてか、3月25日ついに東京都の自粛要請。28日に結婚式だったので、絶望的な気分でした。とりあえず、友人は全員欠席にすることを二人の間で決めました。後の対応は式場と相談。すでに半年以上の時間をかけて準備してきて、コロナの収束がいつになるかもわかならい、という状況の中で延長は、精神的にも体力的にも無理だ、と思っていたので、私としては、二人と両親だけもよいと思っていました。

とりあえず、友人には全員欠席扱いにすることを連絡。引き出物等は郵送することにしました(すでにキャンセルできなかったので)。

会場側もかなり対応はしてくれ、キャンセル分はパッケージの基本料金(40人分)を超えたものについては取らない、40人以下になったものについても実費だけの対応をしてくれました。これは本当に、式場の対応に感謝。この式場にしてよかったと、心から思いました。

最終的に、式は30名程度で実施することができました。当日は雨の予定でしたが、雨も降らず、神社で式を挙げることができました。しかし翌日は雪、という不思議な天気。

そして、3月31日、職場の異動なので、出社するつもりでいたら、前日にコロナに感染しているかもしれない人と同居人が職場にいた、ということで、テレワークの指示が。

前の部署には直接あいさつもできず、異動となりました。

本当にこの3か月間長かった。

しかしたった3か月の間に世界がここまで変わるのか、という驚き、そして自分の危機管理能力の低さを感じています。

一方で、たった3か月でここまで柔軟に多くの職場が動けていることも、一つの希望なのかもしれません。テレワークの広がりは、コロナ以降も続いていくようにも思いますし、ワクチンの開発が進めば、また観光客もいずれ戻ってくるでしょう。

まだまだ何も終わっていないし、この3か月を振り返ってみただけではありますが、なんとなくこの3か月を自分でもどうとらえてよいのかわからず、すべてまとめて書いてみることにしました。

結果ものすごく長い文章となってしまいましたが笑、暇なときに読んでもらえたら嬉しいです。